高倉健さんが、悪性リンパ腫のため83歳で亡くなられました。

日本の映画界をささえていた大スターなのに、まったく偉ぶったことろがなく、テレビのインタビューなどの健さんは素朴で真面目でやさしくて、本当に「男の中の男」という感じでしたよね。

共演した方のみならず、映画を観た人の誰もがファンになってしまいます。中国でも日本の俳優といえば「高倉健さん」というほどの人気だったそうです。

私生活では謎の部分が多く、江利チエミさんと離婚してからずっと、独身を貫いてきました。

どんな生活をしていたのか、どこに住んでいたのか、私生活はまったく謎に包まれた方でした。

さいとうたかおさんの「ゴルゴ13」は、高倉健さんをモデルにしていたそうですよ。そう言われれば、イメージはぴったりですよね。

11月20日放送のNHK「クローズアップ現代」では、「高倉健さんの貫いた信念 秘蔵映像と名言集」という特集を放送しました。

高倉健さんの貫いた信念とは・・

高倉健さんは、生涯205本の映画に出演しました。

高倉さんは、実は俳優という職業はあまり好きでなくて、好きな人と一緒になるため、生活するためにしかたなく俳優になったそうです。

その気持ちがあってか、仁侠映画のトップスターになった時悩んでいて、横尾忠則さんに「ヤクザ映画を辞めたい・・」と話していたそうです。

高倉健さんの転機になったのは、武田鉄矢さんが出演した「黄色いハンカチーフ」だったそうです。

それ以降、不器用で素朴で、人生の荒波の中で懸命に寡黙に生きる男を演じていくようになりました。それは、高倉さんの生き方、そのものでした。

「動乱」では2.26事件の将校を、そして「八甲田山」「鉄道員(ぽっぽや)」など、数々の名作を残しました。

動乱で共演した吉永小百合さんは、「すごい集中力で、こんな方がいらっしゃるんだということを知りました。お互いにしっかりした間をとって芝居をしているんですけど、カメラマンやスタッフの方がいらっしゃらないような別の世界の状況になってしまいました」と共演の感想を述べられてました。

共演の多かった三田佳子さんは、「人生のすべてをかけて俳優高倉健を演じていた方だと思います」とおっしゃってました。

中国映画「単騎 千里を駆ける」では、中国のスタッフ、出演した誰からも尊敬され愛されました。

高倉さんは、人との出合いをとても大切にする人です。誰に対してもやさしく、気遣いを欠かさなかった人です。

高倉さんのようになるためにはどうすれがいいか?と若者に聞かれたとき、「いい人に出会うこと、いい風に吹かれること。」「人にやさしくなるためには、キツイ風にばかり吹かれていてはなれない。いい風に吹かれるように、自分の身体、心をもっていかなくてはならない」と答えたそうです。

実際、高倉さんは、旅、美術、音楽など色々なものに触れながら生きていたそうです。

また、中国映画ロケの後では次のように語ってました。

「人を感動させるのは金ではない、力ではない、物でもない。なんか違うものがあるはずなんだよね・・何十年たっても人を想うことは、いかに美しいかっていうことでしょう。」

「人を想うことだよね・・。人間が人間のことを想う。これ以上やさしいものはないよね・・」

この言葉に、高倉健さんの人生のすべてがあるような気がします。ご冥福をお祈り申し上げます。