元中日ドラゴンズの大豊さん。1963年台湾生まれた大豊さんは、王選手に憧れ20歳の時日本にやってきました。

愛知大学野球リーグで活躍し、1988年ドラフト2位で中日に入団。王選手ばりの一本足打法で背番号55を背負い大活躍します。

その後、阪神を経て、古巣中日にもどり2003年に引退。強打者として日本プロ野球を支えてきました。

野球

引退後は、中華料理店「大豊飯店」をオープン、経営の傍ら中日球団のスカウトなどしてましたが、2009年急性骨髄性白血病を発病してしまいます。

一時は回復したものの2010年に再発して、妹さんから骨髄移植をうけたそうです。

2011年には大豊飯店は閉店することになってしまいます・・。そんな中、大豊さんは2012年再婚。次々と襲う人生の試練に立ち向かう大豊さんの人生です。

大豊さん 急性白血病との闘い

大豊さんは、2012年百合子さんと再婚してから作った岐阜県海津市の中華料理店「大豊ちゃん」を閉めようとしていました。

大豊さんは、2009年急性骨髄性白血病を発症し台湾に住む妹さんの骨髄を移植しましたが、体力が思うように回復してませんでした。

後遺症として皮膚や臓器などの病変がでて腎機能が低下し粘液が出なくなり、水を含まないと話すこともできなくなってしまったそうです。

さらに体力も徐々に衰え、最近は歩くことも辛くなってきたそうです。大豊さんは、今の自分の姿に納得できない、このままじゃ死にきれないといいます。

そんな大豊さんを支えているのが、再婚した妻百合子さん(44)です。百合子さんは、名古屋にあったお店、大豊飯店の常連客だったそうです。大豊さんが、白血病になったとき親身になって世話してくれた縁から再婚しました。

結婚後、岐阜県にうつり、夫婦で中華料理店「大豊ちゃん」をつくり二入で頑張ってきました。

しかし、最近の大豊さん体力低下が激しいため、奥さんは、お店を一人で切り盛りしていくことを決意したそうです。

現在、店の開業資金や治療費で4500万円程借金があるそうです。

今、奥さんは店の切り盛り、家での食事づくり、大豊さんのマッサージなど一人でこなしています。

夫婦はどちらか片一方が弱っていた時に支えあうもの。そして、大豊さんの健康が回復したときに、戻ってこれる場所を絶対にまもっていきたいと語ってました。
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医学の進歩は急ピッチで進んでいます。大豊さんのパワーと奥さんの愛があれば、きっと病気も困難も乗り越えていけると思います。

「大豊ちゃん」のお店は、以下にあります。お近くの人は、ぜひご利用してあげてくださいね。

〒503-0312 岐阜県海津市平田町三郷1132
「お千代保稲荷参道」 大豊ちゃん

大豊泰昭さん、1月18日午後10時41分、急性骨髄性白血病のため名古屋市内の病院で亡くなられました。51歳の若さでした。ご冥福をお祈り申し上げます。