力道山といえば、戦後日本の超ヒーロー。空手チョップで、金髪の外人レスラーをバタバタとなぎ倒し、日本中を熱狂の渦に巻き込みました。

力道山が相撲を辞めプロレスを立ち上げたのは1952年(昭和27年)。当時は、どこの家庭にもテレビなどなく、唯一見れる場所が街頭テレビだった頃ですから、すごいですね。

日本にプロレスという新ビジネスを創りあげ、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、そして格闘技ビジネスの礎をつくった伝説の男です。

トレニング

しかし、1963年、赤坂ナイトクラブで暴力団とケンカをし、お腹を刺され39歳で亡くなってしまいます。

力道山には2人の子供がいました。百田義浩さん、百田光雄さん、いずれもプロレス界に身を投じました。

長男の百田義浩さんは、慶應義塾大学法学部卒業後に、プロレスラー、リングアナ、全日本プロレスの役員となり活躍しましたが、2000年に54歳で亡くなりました。

次男の百田光雄さんは、現在67歳。プロレスラー、プロレスリング・ノア取締役副社長、テレビ解説などをしていました。

力道山が残した遺産は、土地、マンション、スポーツジムなど、当時のお金で40億円と言われていました。

しかし、息子の百田光雄さんの手元には、現在何も残っていないそうで、6畳の部屋で川の字に寝ているといいます。

原因は、死後3ヶ月までにしなければならない遺産相続の手続きで、大きなミスをしたためだといいます。

12月18日TBS「爆報THEフライデー」では、力道山の遺産相続の間違いと、百田光雄さんの現在を紹介しました。

力道山遺族、百田さん一家の相続ミスとは

力道山が亡くなったのは、39歳。その時の遺産は
①大田区の1000坪の豪邸
②高級外車 ベンツやロールス・ロイス
③高級賃貸物件「リキアパートやマンション」
④大型施設「リキスポーツパレス」
⑤相模湖に建設中のゴルフ場

で合計40億円(現在の価値で180億円)あったそうです。

その遺産を、22歳の後妻、お腹にいる子、長女千栄子さん19歳、長男義浩さん17歳、次男光男さん15歳の5人で相続することになりました。

当時の相続税は、なんと75%です、23億円を半年以内に国に収める必要があります。さらに、ゴルフ場の借金などの多額の負債があり、いろいろな怪しい人たちが回収のため、家に訪れるようになります。

遺族は皆若く、誰もお金や法律の知識など、まったく知らない状態だったため後見人をつけ対応しようとしました。

しかし、遺産のほとんどが不動産だったため、それらを処分しないと払えません。結局、足元をみて買い叩かれ、20年かけて処理が終わったときには、40億円の遺産のすべてを失ってしまったそうです。

遺産相続をうまくのり切るコツ

35万部のベストセラーになった、『身近な人が亡くなった後の手続きすべて』の著者 福田真弓税理士からのアドバイスがありました。

①遺産状態の把握
預金通帳や金融機関からの郵便物などから遺産を把握していきます。役所に死亡届を出しても、金融機関から連絡はこないので、自分で調べる必要があります。

②負債の把握と相続放棄
遺産と同じように負債を確認する必要があります。負債となる借金が多い場合には、相続放棄することで負債を逃れることができますが、死後3ヶ月が期限となります。

また、手続き前に葬儀費用や借金返済などで資産を使ってしまうと、相続したとみなされ相続放棄ができなくなるので注意が必要です。

また「限定承認」といい、財産の範囲内でだけ借金を引き継ぐという方法もあるそうですが、それも死後3ヶ月までの手続きが必要です。

百田光男さんの現在の生活

百田さんは、財産のすべて失いましたが、父力道山から生き方を教わりそれを自分の人生として生きています。

茨城県には、自分で建てた1戸建住宅があります。そして、自分でもプロレスラーとなり67歳となった今でも、現役で活躍し現役最長記録を更新しています。

孫の力さんも、同じくプロレスラーになりました。6畳の部屋は、孫の力さんの部屋で、よく泊まりにきて一緒に寝ているのだそうです。

百田さんがどんなに苦しくても手放さなかったものに、力道山のチャンピオンベルト「インターナショナルヘビー級ベルト」(評価額3000万円)があります。

「これは、父の血と汗の結晶。お金はすべて無くしたけど、プロレスの魂をしっかり受け継いでいるから・・」うれしそうに語ってました。