原千晶さんは、1994年20歳の「クラリオンガール」でデビューし、その後、女優として活躍していました。
そんな原さんを病魔が襲ったのが、2005年30歳のとき。精密検査で子宮頸がんと診断されます。
主治医からは全摘出を進められましたが、子宮の温存を望み一部だけ切除で手術したそうです。しかし2009年34歳のときに、子宮体部と頸部にがんが再発。2010年の1月に子宮全摘摘出の手術を受けました。
子供も産めない精神的な負担、苦しい抗がん剤の治療を支えてくれたのは、家族、友人、そして恋人でした。原さんは、死を現実に突きつけられて、改めて気付かされることが沢山あったそうです。
現在は、その時の自分の経験を役立ててもらおうと、婦人科がん患者会「よつばの会」を発足し、がんの啓発活動や講演活動などを行っているそうです。
別な話しですが、TBSの人気アナウンサー安住紳一郎さんは、原千晶さんの1歳違いの従兄で同じ北海道帯広で育ったそうですよ。
子宮全摘出は、子供が産めなくなることを意味します。「命が一番大事。手術を受けてくれ!」と家族の言葉に、原さんは手術を決意しました。
しかし、全摘出することに納得がいかず、手術の前日にキャンセルし温存手術に切り替えてしまったそうです。
4年後に、子宮体がんを発病しました。リンパ節にもがんが転移しており、5年後の生存率は54.3%と言われました。
その時の一番の悩みは、結婚を約束していた彼。彼はそれも運命と受け入れてくれ、子宮の全摘出をすすめてくれたそうです。
原さんは、一度の目の手術から2年6か月の間、検査にもいかず生活していたことに本当に後悔したそうです。
「がんという病気は、自分ひとりの問題ではなく、大切な人たちを一緒に巻き込んでしまうものです。周囲の人ためにもがん検診をしっかり受けてください」との原さんの言葉が心に残りました。