年の差婚をした夫婦にはつきものの「財産目当て」と言う言葉。カトチャン夫婦もバッシングされた時期がありましたね・・
年の差婚ではなくても、結婚してすぐに高齢の夫が亡くなった場合、やはり財産目当てと噂されます。宇津井健さんの場合がそうでした。後に、奥様の身元が分かり疑いは晴れましたが、財産を放棄されました。
このようにいつになっても、女性に疑惑の目が向けられる年の差婚。今回キンスマで紹介されたやしきたかじんさんの妻もその一人です。
本当に愛し合っての結婚だったのか、それともお金が目当てだったのか、それは本人しか知る由もないことですが、このようなことが起こると世間と言う物がどのようなものかよく分かります。
やしきたかじんさんとさくらさんは、犬好きが集まるウェブサイトで知り合い、2人で初めてあったその日にたかじんさんからプロポーズされました。
出会いから84日後に食道がんが見つかったたかじんさんとのおつきあいは、そのほとんどが看病の連日だったそうです。
たかじんさんの闘病生活は2年間続きました。そして亡くなる3ヶ月前に結婚。結婚生活はたったの84日でした。そのときたかじんさん64歳、妻さくらさん32歳でした。
2人の2年間の生活は、百田尚樹さんの「殉愛」と言う小説で明らかになっているようです。
たかじんさんには娘が1人いますが、法的には遺産は娘と妻と2人で分けることになります。ところが、たかじんさんの遺言書は、そのほとんどを妻に残すと言う内容でした。
自分の闘病生活を支え、最後まで尽くしてくれた妻への感謝の気持ちだったのでしょうか。
しかし、その額が尋常ではないため、その後骨肉の争いになります。たかじんさんが残した高級住宅、現金、クラブなど、その総資産は10億と言われています。
また、現在も続いているたかじんさんの冠番組の看板料は、年間1億5千万円になるそうです。それも、現在彼女が社長をしている会社に振り込まれているそうです。
たかじんさんの事務所が所有している高級住宅には現在も妻が住んでいるため、住宅のローンは、事務所が支払っていると言われています。
また、遺言書の内容を読んだ娘さんはあまりの内容に絶句したそうです。
このような争いになるのは火を見るより明らかですよね。たかじんさんがここまで考えて遺言書を書いたのなら、娘さんとの確執も決着をつけておいた方がよかったのかもしれませんね。
それぞれの胸に納められた本当の思いは、誰もわかりませんが、今回のキンスマで、たかじんさんの残された2000枚のメモと妻さくらさんの書いた2年間の闘病日記から真実が明らかになりました。
やしきたかじんさんと闘病生活とメモ
たかじんさんとさくらさんの出合いは、さくらさんがイタリアにいた時。同じ趣味をもつ人をつなぐ、facebookが縁だったといいます。
その時さくらさんは、たかじんさんをまった知らなったといいます。日本に帰ってきたとき、二人ははじめて出合います。
たかじんさんは、さくらさんに一目惚れし、すぐにプロポーズしたそうです。年の差は30歳でしたが、さくらさんもたかじんさんに惹かれていきます。
知り合って35日、たかじんさんに食道がんが見つかります。ガンはステージⅢ、5年生存率は30%でした。
たかじんさんは、「たかじんらしく、60で豪快に死ぬ」ことを望みましたがさくらさんは手術を決意させ、前向きに生きることをススメました。
たかじんさんは手術を決意、さくらさんは、全身全霊をかけ看病します。そして、たかじんさんは奇跡の復活を果たします。
しかし、その1ヶ月にがんは再発します。その後の生活は、2人だけの生活だったようです。
緩和ケアに移った病棟にある教会で、二人は結婚式を上げます。
そして、平成26年1月3日、たかじんさんは、大好きなさくらさんの胸に抱かれ天国へと旅立ちます。
安倍首相を友達とし、橋下大阪市長から大恩人と言われ北の帝王と呼ばれていた、たかじんさんの心は孤独だったそうです。
たかじんさんは、お金も名誉も地位も、皆が思い描いていたやしきたかじん像のイメージさえも望まず、生涯最後の2年間、一人の女性を真剣に愛し続けました。
さくらさんと少しでも長く過ごすことを望み「死ぬんは嫌や・・」と書き残しました。
さくらさんとたかじんさんは出会って2年間の間、一度も肉体関係はなかったといいます。
彼のさくらさんへの思いは、2000枚のメモに残されています。
男と女の愛は二人だけのものであり、周りがどうこう言う権利もなく気にすることもまったくはありません。
きっと、たかじんさんは、さくらさんから人生最高の愛のプレゼントをもらって天国に旅立っていったんでしょうね・・。
「やしきたかじんさんの最期を見て思うこと」をまとめてみました。