世界で最も有名な日本人の1人であるオノヨーコさん。ジョンレノンさんの妻として、世界中の誰もが知っている日本人です。

ジョン・レノンさんと知り合ったのは、1966年11月、前衛芸術家として英国ロンドンで活動している時です。

ロンドン

二入はすぐに意気投合して一緒に行動するようになりなります。そして、1969年に結婚、世界中を驚かせました。

結婚翌年の1970年、ビートルズ解散が決定。解散の原因はヨーコにあるとして、「ビートルズを解散させた女」として非難されました。

1975年、レノンさんとの間に、息子ショーンが誕生、日本での生活を交えながら家族3人で幸せな時間を過ごします。

そして、1980年12月8日、運命の日。ニューヨークにある自宅前でレノンさんは凶弾に倒れます。

以降、ヨーコさんは、レノンさんの意思を引き継ぎ、世界中の平和を訴え色々な活動してきてきました。

戦後間もない時期から、米国と日本を行き来し生活していたヨーコさんとその家族。海外渡航などできなった時代に、なぜそんな生活ができたのでしょか。

ヨーコさんと息子のショーンさんを迎え、ヨーコさんの華麗で波乱に満ちた系図が、8月18日放送NHK「ファミリーヒストリー」で紹介されました。

オノヨーコさんの家系

ヨーコさんは、1933年2月18日、銀行家の父小野英輔さんと、母磯子さんの長女として、東京府で生まれます。

父方の祖父小野英二郎さんは、元日本興業銀行総裁、母方の祖父安田善三郎さんは、あの安田財閥の祖という超セレブの家柄です。

オノヨーコ系図

ヨーコさんは、戦前、戦後を通し超セレブのお嬢様として育っています。幼少期は、なんと安田家の鎌倉の別荘で暮らしていたそうです。

ファミリーヒストリーの映写室には、ヨーコさんとショーン・レノンさんのお二人が登場。ヨーコさんは、健康状態もよく相変わらず美しく聡明でした。

ショーンさんは、「僕は41歳で、彼女は84歳、そういうこと(家族の歴史について)を話し合う時間がきているのかもしれません」
「母と一緒に家族の先祖を見ながら過ごせるなんて、すごく特別なことだと思います」と語ってました。

ショーンさんは「タノシイネ・・、スゴイネ・・」と言いながら、熱心に母と自分のファミリーヒストリーを確認していました。

ヨーコさんの父は超ハンサム、母は超美人

柳川藩で100石の武士だった小野家は、明治維新で10石まで減らされてしまいます。ヨーコさんの祖父、英二郎さんは学問で身を立てようと、同志社英学校に進みます。

明治17年、英二郎さんはアメリカの大学に留学、ミシガン大学大学院で経済学博士号を取得します。

明治22年、父が亡くなり急遽帰国、同志社政法学校の教授となります。その後、日本興業銀行に入社し頭角を現し、総裁にまで登りつめます。

ヨーコさんの父、英輔さんは、7人兄弟の3男として生まれました。

幼少からピアノを弾き、東京帝国大学の数学科を卒業した秀才、身長は180cmで超ハンサム、財界女性の憧れのまとだったそうです。

英輔さんは帝大卒業後、父の後を継ぐべく経済学を勉強しなおし横浜正金銀行(後の東京銀行)に入社します。

昭和6年の夏、安田財閥の軽井沢別荘を訪ねたとき、1人の美しい女性と出会います。安田善次郎(安田財閥創始者)の孫、磯子さんです。

2人はすぐに惹かれ合い結婚、昭和8年に長女ヨーコさんが生まれます。ヨーコさんの3歳下に弟啓輔さん、8歳下に妹の節子さん(元世界銀行勤務)がいます。

ヨーコさんが2歳の頃は、千代田区九段下にある現在のフィリピン大使公邸が自宅だったそうです。現在も、ヨーコさんが住んでいた当時の間取りのまま使われているそうです。

戦後、父英輔さんは東京銀行に勤め、初代ニューヨーク支店長となり、家族そろってニューヨークに移り住みます。

ヨーコさんは、ニューヨーク州サラ・ローレンス大学に入学し詩と声楽を学びます。

その後、ヨーコさんは前衛芸術をスタートさせ、最初の結婚をします。

一時東京でも活動をしますが、前衛芸術理解されずアメリカに戻ります。

ロンドンで活動していた時に、ジョンと知り合い1969年結婚します。

実は、名曲「イマジン」は、オノヨーコさんの詩からインスピレーションを得てできたそうです。

「私があの歌を書いたと言ったら、あの歌は消えちゃったと思う。だからやっぱしよかったと思うの、ジョンレノンということで・・」ヨーコさんが、イマジンについて語った言葉です。

当時、レノンさんは、ビートルズの3人と別れ、とても苦しんでいた時だったそうです。そこで、イマジンの共作の部分を彼にあげようと決め、プレゼントしたそうです。

明治時代からの小野家の系図を辿ってみると、「世界というスケールの中で自分は何をすべきかを考え行動してきた一族」という姿が見えてきました。

そのDNAは、ヨーコさんにも受け継がれ、ジョンレノンという天才の心を動かし、世界平和のための活動をすることに繋がったのではないでしょうか。

ヨーコさんは、ショーンさんに「不運に見せかけた幸運」ということを教えてきたそうです。

「困ったことや悪いことに思えても、本当は一番よいことかもしれない。何か大きな力が動いていることを信じなくてはいけない」という意味だそうです。

ヨーコさんは、まさにその言葉を信じ、自分の人生を切り開き歩んできたんですね・・。