70年代のテレビで、忘れられない番組の一つにTBSの「おかあさん」という番組がありました。
主演は水前寺清子さん、お母さん役として山岡久乃さんで、1970年から1973年まで、第3シリーズにわたり放送されました。
第1シリーズが婦人警官編、第2シリーズが看護婦編、第3シリーズが魚屋編と、水前寺さんの役は変わっていきましたが、いずれも母子家庭という設定で、とても心温まるホームドラマでした。
ドラマの最高視聴率は、民放ドラマ史上最高の56.3%だったそうですから、人気の凄さがわかりますよね。
とにかく、木曜日の8時から9時までは、ほとんどの家庭で見ていたような気がします。
山岡さんは、その後『渡る世間は鬼ばかり』の主役岡倉節子役を1990年から1998年まで8年間演じ、突然降板してしまいます。
降板の原因として、橋田壽賀子さんとの確執などいろいろ言われてましたが、真相は病気だったようです。
翌年の1999年2月、山岡さんは胆管がんによる心不全のため72歳で亡くなられました。
「おかあさん」が放送されていた当時、水前寺さんと山岡さんには、不仲説が流れていました。
「あれほど仲が良いのに、本当に不仲なの?」と子供ごころに思っていました。
水前寺さんも、今年で72歳。ちょど山岡久乃さんが亡くなった年齢になります。
そんなこともあっての思い出でしょうか、TBS、9月22日放送の「爆報!THE フライデー」で、当時のことを水前寺さんが話してくれました。
当時、リアルタイムでドラマ「ありがとう」を見ていた私たちにとっては、とても興味津々の話しですね。
本当だった水前寺さんと山岡さんの確執 山岡さん大嫌い!
実は、水前寺さんは山岡さんのことが、本当に大嫌いだったようです。
当時、水前寺さんは売れっ子歌手として大忙しの生活で、ドラマのリハールにもでることができず、ほぼぶっつけ本番で収録していました。
ある回、娘の光(ひかる)がお母さんに叱られるシーンで、台本には何も書いてなかったのに、山岡さんが本気で水前寺さんを平手打ちをしたそうです。
「実の親にも叩かれたことがないのに・・」と、水前寺さんは頭にきてしまいました。
それがきっかけで、母子のケンカのときには、毎回真剣な感じになってしまったとか・・。
そんな訳で収録以外では一切口もきかず、水前寺さんと山岡さんは和解することなくドラマの収録を終えてしまいました。
山岡さんは本当の母のように水前寺さんを見守っていた
それから29年後の1999年、水前寺さんの楽屋に、突然山岡さんの事務所の女性社長が訪れました。
そして、山岡さんからの預かりものとして、山岡さんが大切にしていた着物が届けられました。
実は、山岡さんはその年の2月に、胆管がんで亡くなっていたのでした。
山岡さんは生前、「私に何かあったら、これをチータに届けて・・」と、社長に託されていたそうです。
着物のたとうしには、山岡さんの直筆で「水前寺清子さんへ」と書かれていました。
山岡さんは水前寺さんが嫌いではなく、逆に尊敬していたのです。
生前あるトーク番組で、山岡さんは次のように話していました。
「これまでの役者人生で一番印象的なのは、水前寺清子さんです。あれだけ多忙でリハーサルもこられないのに、完璧に台詞を頭に入れて一度もNGをだしませんでした。今でも、こころから尊敬しています。」
台本にない平手打ちは、水前寺さんを役者として認めた一発だったようです。
水前寺さんは、「今となってみると、すごい愛情だった。山岡さんの本当の気持ちを私はわからなかった・・。どこかで本当の親子みたいな気持ちになっていた。感謝しかありません・・ありがとう・・」
と、なつかしそうに語ってらっしゃいました。