柔道界の第一線を歩いてきた斎藤仁さんは、2015年1月20日、54歳の若さで胆管癌で亡くなりました。

斎藤仁 死の真相

胆管癌で亡くなった人と言えば、つい最近では、任天堂の岩田社長を思い浮かべます。現在、胆管癌と戦っている人は、川島なお美さんがいますね。

胆管癌は、肝臓の中にある肝内胆管に発症するがんで、初期の段階は無症状、進行すると倦怠感、食欲不振、体重減少、お腹の上部の痛み、黄だんなどの症状が現れます。

胆管癌は、非常に見つかりづらいガンと言われており、発見したときには、かなり進行していることが多いと言います。生存率も低いため、人間ドックなどで早期に発見することが重要ながんの1つです。

そんな胆管癌で亡くなった斎藤仁さんの死の真相が、爆報!THEフライデーで語られました。

斎藤さんの息子さん斎藤立さんも、柔道の選手です。慎重174cm、体重116kgと立派な体型は、お父さん譲りですね。お父さんが亡くなった時点では、中学1年生でした。

お父さんの生前、「お父さんより強くなりたい、お父さんを秒殺したい。無理だろうけど」 「東京五輪に出て、優勝したい」

と語っていました。

爆報!THEフライデーでは、斎藤さんが嘘をついて死んでいったその理由と最期に家族に残した言葉が語られました。

斎藤仁さん 死の真相

斎藤仁さんは、日本の柔道の男子監督を務めました。鈴木佳治さん、井上康生さん、石井慧さんなど一流の選手を育てたことでも有名ですね。

熱心な指導で選手を育て上げ、柔道に生活の全てをささげていました。

2013年、柔道界に激震が走ります。国際試合強化選手15名が指導員の暴力行為・パワハラを告発。

この時、責任者となった山下さんと共に調整役として奔走し、柔道界を背負い、矢面に立って批判を受け止めました。

そのような折、東京オリンピックの開催が決定。責任感の強い斎藤さんは、早く解決しなければと奔走し、相当なストレスでしんどそうだったと言います。

2013年12月、斎藤さんは体に異変を感じ、胆管癌が判明します。斎藤さんのガンは、6cmになり手術ができない状態でした。リンパ節に転移した末期がんでした。

最強の強さを誇っていた柔道家が、妻の前では涙を流しました。そんな斎藤さんですが、がんを隠し通すことを妻に宣言し、仕事に向かいます。

末期がんにも関わらず、女子暴力問題が尾を引く中、事態の収拾に奔走します。柔道の指導も変わらずに続けています。

気持ちが沈んでうつ状態になることから、抗がん剤の治療も中止し、柔道の指導を続けます。

このことを知っていたのは、ただ一人、盟友の山下泰裕さんでした。斎藤さんが入院した際、山下さんは密かに病床を訪問し、1時間以上も話をしたと言います。

その時、弱気な話などまったくなく、これからの柔道界をどう立て直していくか、斎藤さんの思いをかなり熱くしゃべっていたそうです。

自分の病状より、柔道界の未来ばかりを心配してたのでしょうね。

斎藤さんが他界する数時間前、現状を察した妻三重子さんは、息子たちに今日はお父さんのそばにいることを提案します。

しかし、斎藤さんは、驚きの言葉を発します。酸素マスクを外して言った言葉は、「おい、稽古行け!」でした。

これが、斎藤さんの最期の言葉でした。これが、ある意味遺言だったと言います。

入院中も、病室で、息子たちに柔道の指導をしていたくらい、柔道界を我が子に託したかったのかもしれませんね。

妻三重子さんは、息子を立派な柔道家に育てると誓います。口下手の人で、厳しいこともいっぱい言いましたが、斎藤さんは、愛する家族を最後まで守り続けたと言います。

父の強い意志を受け継いだ息子たちは、共に柔道に打ち込んでいます。

尊敬する父のように、東京オリンピック、その先の未来を目指します。