私たちの年代に忘れられないテレビ番組がいくつかありますが、その一つに「欽ちゃんのどこまでやるの!」がありますよね。

お父さん役の萩本欽一さんとお母さん役の真屋順子さんに、長男の見栄晴くん、のぞみ、かなえ、たまえさんの3姉妹の6人家族。毎回、ゲストを加えてのほのぼのとした家族ドラマは、本当に楽しかったですね。

「欽ちゃんのどこまでやるの!」は、1976年10月から1986年9月までの10年続いたそうです。その間、子供たちもすっかり大人になってしまいましたよね。

昭和

番組終了後、真屋順子さんは、テレビや舞台で活躍してましたが、2000年58歳のとき脳出血で倒れてします。

左半身マヒが残りましたが、リハビリを続け2003年に車いすで舞台に復帰。しかし、2004年に今度は脳梗塞に襲われ、言語障害が残ります。

一時は深い絶望感に襲われましたが、ご主人で俳優の高津住男さんと家族の支えにより、壮絶なリハビリを行い言語機能を回復します。

その後、リハビリに励む人たちを自分の体験談で勇気づけようと、全国各地を回り500回にも及ぶ講演活動を行います。

しかし、自分を支え続けたきてくれた最愛の旦那さんが2010年に肝臓がんで死去してしまい、翌2011年には、真屋さんの腹部に動脈瘤がみつか、4時間にわたる大手術をしています。

真屋さんは、1942年生まれで、今年73歳。人生のいろいろな障害をひとつずつ乗り越えてきた真屋さん、本当にすごいですよね。

そんな真屋さんですが、見栄晴くんが嫌いだったようです。理由は、見栄晴くんの不義理だとか・・・。

H27年2月20日放送「爆報THERフライデー」で二人は再会し、真屋さんの見栄晴君嫌いの真相を証しました。

真屋順子さんと見栄晴くんとの確執

真屋さんは、40歳の時、欽ちゃんとの夫婦役でブレイクし、その後は、お母さん役で人気者になりました。

その後、2000年に脳梗塞で倒れからのリハビリ生活は、誰もが知るところです。真屋さんの頑張りにより、今では言語障害も克服し、少しずつ回復しています。

色々なリハビリの中で、真屋さんが独自に考えたのが、「デレビザッピング法」。1日テレビをつけて見ている真屋さんは、テレビのリモコンのチャンネルを変えるとき、あえて動かしづらい指でザッピングしています。

何かをさわることは脳のリハビリにはとても良いことです。特にリモコンの場合は、細かい動きが入るので、より脳が刺激を受けると考えられます。

そんなリハビリに頑張っている真屋さんですが、芸能界で許せない人がいるそうです。それは、なんと「見栄晴くん」。

あんなに、欽ちゃんファミリーとして一緒に頑張ってきたのに、結婚しても子供が生まれても、真屋さんに何の報告もなかったことにとてもショックを受けたそうです。そんな見栄晴くんの不義理が許せなかったそうです。

真屋さんは、見栄晴くんとは会いたくないとずっと思っていましたが、今回番組の企画で二人は会うことに。

真屋さんが怒っていることを知った見栄晴くんは、真屋さんに心から謝ります。すると真屋さんは、見栄晴くんは照れ屋が逆に出ちゃってね・・・と、理解を示します。

見栄晴くんが「ごめんなさい」と言ったから、許すことにしたそうです。そして、何も変わっていない見栄晴くんに「見栄晴は良い子だね」と言いました。

誰でも長く生きていると、多かれ少なかれ確執があるかと思います。そんな確執は生きているうちに解決できたらいいですね。
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平成29年12月28日、女優の真屋順子さんが、全身衰弱のため75歳で亡くなりました。

長男の高津健一郎氏名義で発表された文章には、「17年間の闘病の荷を降ろし、夢を見ているような、静かで、とても穏やかな最期でありました」と記されていたそうです。

真屋順子さんのご冥福をお祈り申し上げます。

(記事参照:スポニチアネックスより)