自分の人生を振り返ってみると、ターニングポイントとなるところがいくつもありますよね。紹介されている岸ユキさんの経歴をみてみると、そんなことを思い起こさせてくれます。

岸ユキさんといえば、私たちの世代は「サインはV」ですよね。あの番組で、中学校の女子バレー部入部者が殺到したほど人気でした。

岸さんは、その後、ドラマやリポータなどをしていて1983年、NHKの「明るい農村」で農業と出会います。番組で日本の農村300ケ所を歩き、農業の目覚め山梨県韮崎で農業生活を始めました。

一方、画家としての才能も開花させ、毎年二科展に出品し入選するほどの実力。お父さんが日本画家、山田皓斉さんですから、その才能を受け継いたんでしょうね。

山梨県韮崎の100坪の農園で旦那さんとの幸せな農業生活を、以前紹介していましたが、その旦那さんが亡くなったしまったそうです。

今回「爆報THEフライデー」で、その経緯を説明してくれました。

現在は、千葉県君津市のアトリエで小さな菜園をしながら、夫との思い出を大切にしながら生活しているそうです。

岸ユキさんの夫が選んだ尊厳死とは

山梨の農村で夫婦で野菜作りを楽しんでいた岸ユキさんの夫は、78歳の時、余命1ヶ月の胃がんと診断されました。ステージ4の末期癌でした。

提示された治療法は2つ。1つは、放射線治療や抗癌剤などの治療を施し命を長らえる。これには、辛い副作用があります。もう1つは尊厳死。しかし一度尊厳死を選ぶと引き返すことができません。

ユキさんの夫は、全ての治療を拒否し、「尊厳死」を選びました。

尊厳死を選ぶと、また2つの選択があります。

1つは、痛みや精神的な苦痛を和らげる専門の緩和ケア病棟への入院。緩和ケアの入院は痛みなどの苦痛に24時間対応してくれますが、高額な入院費がかかります。

もう1つは、自宅医療。緊急時には医師が駆けつけますがそれ以外は、自宅で家族と残された時間を過ごします。医療費の負担を考え、自宅医療を選ぶ人もいます。

世の中では、「尊厳死」を理想の死とする人もいますが、そんな甘いモノではなかったそうです。

一度尊厳死を選ぶと、途中で引き返せない。体調が辛くなって治療を望んだときは、もう為す術もないと言うことが往々にしてあります。

そこには、生への葛藤、死への恐怖との辛い戦いがあると言います。

岸さん夫婦には、尊厳死の本当の苦しみがあったそうです。余命1ヶ月を告げられ、亡くなる1週間前になると、医師に「治療ってしないんですか?」と尋ねたそうです。そこには、断ち切り難い生への葛藤がありました。

岸ユキさんは、「人間の死に様というのは、その人の生き様ですね。自然でいたほうが長生きする場合もあるかもしれない。それは自分の選択。残りどれくらい生きられるかわからないけれど、精一杯生きなきゃいけない」と語っていました。

典型的な亭主関白だったユキさんの夫は、生きている間に一度も妻に愛の表現をしませんでした。

しかし、遺言書には、「私が残す全ての財産を妻・富巳(岸さんの本名)に残す。兄弟や姉妹にお願いがあります。私は、妻・富巳を心から尊敬し、愛しておりました。ですから、妻・富巳が命ある限り、私に与えられた肉親の愛情を妻にもお願いしたいのです。どうか仲良くお暮らしください。」と記してありました。

これが、妻へ初めて送る愛の言葉となりました。