視聴者からも芸人仲間からも、スタッフからも、だれからも愛されている間寛平さん。1949年生まれですから今年66歳になりますが、いつも若々しいですよね。
2008年、60歳直前から2年1か月をかけて、ヨットとマラソンでアースマラソン4万1000kmを完走。同じ年代の私たちは、たいへん驚かされ、励まされました。
しかもその間に、前立腺がんを発症し、治療しながらの偉業でした。
寛平さんは、若いころは左官業やダンプカーの運転手をしながら、芸能界入りのチャンスをうかがっていたそうです。
吉本に入り、やがて東京進出。なかなか目がでませんでしたが、手助けをしたのが萩本欽一さんだったそうです。
寛平さんには、実は2人の父親がいます。一人が実父で寛平さんが生まれる前に若くして亡くなりました。そして、母再婚により養父となった間家の父。
寛平さんは、養父から深い愛情を与えられ育ちました。そのため、実父のことはけっして母に聞こうとはしなかったそうです。
そんな間寛平さんが、NHKファミリーヒストリーの力を借り、はじめて実父を向かいあうことになります。いったい間さんファミリーには、どんなストーリーが隠されているのでしょうか。
ここから番組の内容です
寛平さんは、高知県と愛媛県の境に山奥の宿毛市出井で、父岡村時市さんと母美稲子さんの間に産まれました。
寛平さんの父、時市さんは、大正15年に生まれました。小さい頃から足が速く、社交性があり、歌がうまく、目立ちがりやで顔も寛平さんにそっくりでした。
昭和17年、時市さんは家族を助けるため一旗あげようと海軍に入隊します。長崎県佐世保で終戦を迎えますが、厳しい兵役の中で肺炎を患ってしまいました。
終戦後、出井にもどり病気を治して仕事を始めます。そのとき、村一番の秀才だった美稲子さん(寛平さんの母)に惚れ、一心に口説きおとし結婚したそうです。
幸せな新婚生活を送ってましたが、時市さんは、肺炎を再発してしまいます。そのとき、美稲子さんのお腹には寛平さん(本名:重美)が宿ってました。
美稲子さんは時市さんに、堕ろすことを相談しましたが、時市さんは絶対に許さなかったそうです。
時市さんは、自分は絶対に生きてみせるからと、必ず産んで美稲子さんの手で育てることを約束させましたが、寛平さんが生まれる直前に23歳の若さで亡くなってしまいました。
美稲子さんは女でひとつで、寛平さんを育てる決意をし、頑張っていましたが、そこに、現在の夫、間幸一さんが現れます。
美稲子さんは、寛平さんを可愛がってくれ、誠実で働き者の幸一さんに次第にひかれるようになり、二人は結婚します。
結婚するとき、美稲子さんは決して実父時市さんのことを口にださないことを約束したそうです。
幸一さんは寛平さんを自分の子供のように可愛がり育てました。その後、一家は、愛媛県宇和島を経て、大阪に移り住みます。その間に、寛平さんの弟健一さんが誕生します。
寛平さんは、養父幸一さんから「二十歳までは好きなことをしろ」のアドバイスを真に受け、うどん屋、キャバレー、運転手、左官などのを転々とし、けっこう悪さもしていたそうです。
しかし、19歳のときコメディアンになることを決意します。それは、「二十歳を過ぎたらきちっと決めて一本に打ち込め」という養父との約束を守ってのことでした。
以降、寛平さんは多少の下積みはあったものの芸能界で大活躍。その活躍を誰よりも喜んだのは、養父幸一さんでした。
実は、寛平さんは中学まで幸一さんを実親だと思ってまったく疑うこともなかったそうです。おぼろげながら分かってきてからも、決してその事を口に出して聞こうともしませんでした。
芸能活動も順調でしたが、人の良い寛平さんは知り合いの連帯保証人になってしまい巨額な借金を抱えピンチに陥ってしまいます。
結婚し購入したばかりの自宅もとられ落ち込んでいた時、瀬古選手とデットヒートしながら走る夢を2回続けて見たそうです。
それをスタッフに話したところ「マラソンで3時間を切ったらギャラ2倍にしてやる」という話をもらい、マラソンに参加しました。それが、寛平さんが走り始めたきっかけです。
寛平さんは「走るとき、いつも誰かが背中を押してくれるような気がするんですよ・・」と言ってましたが、時市さんが走ることが大好きだったことを聞き、それが実父であったことを実感しました。
走ることで芸幅を広げた寛平さんは、ピンチを脱出します。
養父幸一さんは、平成24年82歳で亡くなります。幸一さんは、息子寛平さんをいつも誇りにし、晩年入院した病院の看護婦さんにも「血はつながってないけど俺にそっくりだろ」と自慢していたそうです。
母、美稲子さんは、幸一さんが亡くなった後、65年ぶりに故郷の宿毛市出井を訪ねます。そして、時市さんの墓を訪れ、「子供にもとっても良い嫁さんに巡りあえて本当に幸せです」と墓前に報告しました。
寛平さんは、アースマラソンで走って苦しくなった時、「時市おやじに走らされているとちゃうんかな・・」と何度も思ったそうです。
今、寛平さんの心の中には、二人の父がしっかり生きています。寛平さんは、二人の父の分も自分が長生きしてやろうと思っているそうです。
寛平さんにはお孫さんができ、このお孫さんが走るのが大好きなんだそうです。寛平さんは、孫と走ることが楽しくてしょうがないと話してました。
実父、時市さん、寛平さん、そしてお孫さんに、走る遺伝子が脈々と受け繋がれているのかもしれませんね。