萩原流行さんは、1953年生まれ。渋い名脇役として数々のドラマや舞台に出演しました。
萩原流行さんがブレークしたのは、つかこうへいさんの映画1982年の「蒲田行進曲」だそうです。蒲田行進曲は、私たちのまだ若かりし頃でしたね。彼氏、彼女と観に行かれた方も多いと思います。
萩原さんは、松田優作さんとも友達だったようで、そういえば雰囲気もちょっと似ていましたよね。最近は、バラエティ番組にもちょくちょくでていて、うつであったことを自伝「W うつ」で告白しました。
タイトルとなった「Wうつ」は、萩原さん、まゆ実さんの二入がうつになったことから付けられたタイトルで、二人の共著により2009年に出版されました。
その内容には、壮絶なお二人の過去が描かれていました。萩原さんのお母さんは後妻として嫁ぎ、1953年に萩原さん(光男)さんを出産します。しかし、夫が亡くなると先妻の子供たちに家を追い出され、萩原さんを抱え家をでます。
お母さんは、ダンスホールで働いているとき、バンドのギタリストと知り合い再婚します。しかし、新たな夫は、どうしようもないDV夫だったようです。
萩原さんは、お母さんを殴る義父に小さい時から恐怖に怯えてましたが、高校になったとき、母を殴る姿を見てついに切れてしまいます。義父をボコボコに殴って前歯を全部折り、それでも収まらず出刃包丁で刺し殺そうとしたそうです。
その後、萩原家は離散。萩原さんは大学生の時に劇団に参加し、同じ劇団にいたまゆ美さんと知り合い結婚します。
萩原さんは、つかこうへいさんの劇団に移ったあと人気がでて忙しい毎日を過ごしますが、まゆ美さんは萩原さんの自由奔放な性格に悩み、うつになってしまいます。
その後、萩原さんも仕事の忙しさ、不安から、うつを発症してしまいます。そんな萩原さんを、不幸な事故が次々と襲います。
平成25年に車同士の接触事故、平成26年10月に車の運転で歩行者と接触事故、平成27年3月には、大型バイクの転倒で右腕打撲してしまいました。
平成26年の歩行者との接触事故では、「接触した記憶がまったくないし、事故を起こした認識もない」と話していたことから、治療のための薬との関係も取りざたされました。
そして、平成27年4月22日午後6時 高円寺の青梅街道を大型バイクを運転中接触転倒し、後続の車に惹かれ亡くなられました。
振り返ってみると、どうしても「うつ」との治療のことを考えてしまいます。うつの治療には症状に応じて、抗不安薬、睡眠薬などが処方されますが、治療中はイライラしたり眠気を起こすこともあります。
これからますます渋みをだし、すばらしい演技をみせてくれるはずだった、俳優萩原流行さん。もし、今までの事故を考え、車やバイクの運転を控えていたなら・・と思うと本当に残念な気持ちです。
萩原流行さん(享年62)のご冥福をお祈り申し上げます。