今やMCとして、大活躍の坂上忍さん(47歳)。坂上さんは独身で、潔癖症、ボートレース好き、イヌ好き、お酒好き、煙草好きで、ちょっと心配な人生を送っていますよね。

4月17日放送NHKの「ファミリーヒストリー」は、そんな坂上忍さんの壮絶な家族人生が紹介されます。

坂上さんは、3歳のときにテレビドラマの子役としてデビューし、天才子役と言われました。

一方、坂上さんの家族は、出版事業経営に失敗した父親の巨額の借金を抱えこみ、家族の人生が翻弄されていきます。

坂上さんが中学の頃は、毎日のように暴力団が自宅まで借金取りにきていたそうです。坂上さん15歳の時、両親は離婚、父親は2012年に亡くなります。

そんな父の出身は福岡県大牟田です。父、勝也さんは、太宰治に憧れる文学青年だったようです。福岡に移る前に住んでいたのは熊本。そこには坂上家の壮絶なドラマがありました。

紹介された坂上家のファミリーヒストリー

忍さんは、15歳の時から父と離れて暮らしたため、家のルールはまったく知らないそうです。

坂上家のファミリーヒストリーは、末吉(曽祖父)ー勝(祖父)ー勝也(父)ー忍として紹介されました。

忍さんの曽祖父末吉さんは、熊本県玉名郡で干潟の土地を開拓し生活してました。しかし、台風の被害で開拓した家や田畑のすべてを失い、当時炭鉱で栄えていた大牟田の三池炭鉱に移り、炭鉱の仕事で生計をたてるようになります。

末吉さんの長男として生まれた祖父勝さんは、商売気があり広告を集め小さな地域の新聞社を始めます。その後はじめた貸家業も順調に発展し、やがて政界を目指し立候補しますが、落ちてしまいます。

外では名士で通った勝さんですが、家庭では、まったく違う一面を見せていました。それは、母を虐待するひどい父でした。

忍さんの父、勝也さんは勝さんの四人目の子として生まれました。母の虐待を見て育った勝也さんは何度も母を守るため止めに入ったそうです。

やがて両親は離婚、勝也さんは、母についていきました。勝也さんは、父に対して「馬鹿な父親、母に心労を与えてきた忌まわしい人物」と文書に残しています。

忍さんの父、勝也さんは県立三池高校に入り文芸部に入ります。本が好きで文章を書くのがうまかったそうです。その父の運命を変えたのは、友人から借りた太宰治の「人間失格」でした。

勝也さんは、太宰にのめり込み、なんと高校のとき心中事件をおこしてしまいます。

その後、父勝也さんは高校を中退し、小説家を目指し投稿を始めますがすべて落ちてしまい、地域の新聞で映画評論などを書いていたそうです。

昭和35年、勝也さんは東京にでて運輸関係の業界紙「交通新報社」に入社し、母淳子さんと出会い結婚します。

昭和42年、二人の間に、次男の忍さんが生まれます。勝也さんは、サラリーマンの傍ら副業で始めた不動産業が大当たりし、苦労していた母を呼び寄せ幸せな生活が始まります。

忍さんは、祖母に可愛がられて育ちますが、祖母が死んだときのショックで、忍さんは口を効かなくなってしまったそうです。実は、それを治すため母淳子さんは、忍さんを劇団に入れたそうです。

勝也さんは不動産で儲けた資金をもとに、小説家の夢を叶えようと出版社を設立し「釣り談義」という本を刊行します。

しかし、本は売れず、借金がどんどん膨らみ、やがて父は借金1億円を残し行方をくらまします。母が連帯保証人になっていたため、忍さんは高校を中退し働き続け、26歳のとき借金全額を返済します。

そんな頃、父から電話があり地元で自分の本がでたので出版記念のサイン会にでて欲しいと連絡があります。忍さんはさんざん迷った挙句、父を助けるためとサイン会に手伝いにでかけます。

しかし、出会った父からは謝罪の一言もなく、以降忍さんは父との関係を完全に絶ちました。父勝也さんは、72歳で波瀾万丈の人生を終えます。

忍さんは、「かっこうばかりつけているからダメなんだよ。でも親父が事業で失敗してなかったら、この仕事は続けていなかった」と静かに語ってました。

「あなたの放棄した家族は、あなたの置き土産によって既に鮮血を流している。僕には伝わらない。あなたの男としての美学も理解できない。それでも、僕はあなたの背中を見続けてきた。そしてあなたが去ってから、あなたの背中を視界から夢から払拭しようとしたが、すでに時は遅かった」これは、忍さんから父へ送った手紙です。

父は忍さんからの手紙と、忍さんがサイン会に駆けつけてくれた時の写真を、生涯大切にとっておいたそうです。