内田春菊さん、1958年生まれで今年58歳。漫画家、小説家、エッセイスト、女優、歌手、落語家、いくつもの肩書をもって活躍していますよね。

1993年に書いた初めての小説『ファザーファッカー』は、第110回直木賞の候補作に、『キオミ』では第112回芥川賞候補となっています。

Wikipediaの経歴を見ると、スゴイ人生を歩んでらっしゃいますが、自分の才能を信じ人生を大切に生きている方ような気がします。

そんな内田春菊さんが、大腸がんを患い人工肛門を造設したことを「週刊朝日、2017年9月15日号」で公表しました。

内田春菊
(画像参照:週刊朝日 2017年9月15日号 内田春菊大腸がん闘病記 「私、人工肛門になっちゃった」より)

血便で発覚、内視鏡も入らない大きさの腫瘍

大腸がんが発覚したのは、2015年12月のこと。発見のきっかけは、血便だったそうです。

はじめは痔と思っていたそうですが、体重が10キロ激減していることから検査をうけたところ、「即大病院行き」を告げられたそうです。

検査の結果、大腸がんは肛門から2cmのところにあり、内視鏡も入らないほど大きかったそうです。

肛門を残す可能性を考え、まずがんを小さくするための抗がん剤治療を開始しました。

その結果、がんはかなり小さくなったものの、「肛門を残すのは危険」との判断から2016年4月に手術をうけ人工肛門を造設したそうです。

内田さんは、これまでのがんの闘病経過を、『内田春菊大腸がん闘病記 「私、人工肛門になっちゃった」』として、週間朝日の誌上で発表しました。

記事には、内田さんが経験した、大腸がんの告知、がん施術の様子、人工肛門になったことでの気持ちの変化などが、さらっと書かれていました。

内田さんの手術後の大きな意識の変化の一つに、「恋愛やめた」というのがあるそうです。

「病気を前にすると、周りにいる人の人間性が見えちゃうところがある。それで、本当に大事なものと、大事じゃないものが、すーっとわかった。それで、“今の私に、男はいらないや”って思っちゃった・・」

「例えば、男女の関係に発展しよとしたときに、『ちょっと珍しい体ですけど、いいですか?』と相手に打ち明けて、『大丈夫』と言ってくれる人が見つかるのかな。自信がないのかも・・」

(週刊朝日より)

と、本音の部分も語ってらっしゃいました。

内田さんは、人工肛門の使用感なども具体的に語っています。

・「便意を感じることや我慢することはない」

・「おならも出ている感覚はあるが、制御がきかない」

・「おならするときは、プスプスと不思議な音がするんです。静かな場所で出たりすると、ひやっとしますよ」

・「まるで肛門が存在するかのように、肛門周りがめちゃくちゃ痛くなって、今にも裂けて排せつしそうな感覚になるときがあります。この痛みは、自然になくなるものか、医師にもわからないみたいで……」

(週刊朝日より)

内田さんの大腸がんの経験は、「まんが」としてもまとめられ、現在電子書籍「renta!」で配信されています。

内田さんのタッチで、大腸がんと人工肛門に悩む1人の女性の姿が、等身大にわかりやすく描かれています。

もし、同じようにお悩みの方がいらっしゃいましたら、ぜひ「がんまんが~私たちは大病している」を読んでみてください。

絶対に勇気づけられると思います。

中井美穂さんも一時期、人工肛門をつけていた

人工肛門(ストーマ)は、肛門の機能を失ったときに、便や尿を出す機能として設けられます。

まず、手術でお腹に穴を開け、自分の腸や尿管を直接おなかの外に出して、便や尿を排出するための機能つくります。

そこに、便や尿を溜めてにおく装具をつけて、排出物を受け止めます。

肛門を取り去ってしまうと、便を貯めておく機能がなくなるので、食べ物を食べ消化すると、体内に溜まることなく随時排出されていきます。

人工肛門をつける手術は「オストミー手術」と呼ばれ、日本では約20万人の患者さんがいると言われいわれています。

人工肛門は身体障害者に認定されており、患者さんはお互いを「オストメイト」と読んで情報交換などを行っています。

中井美穂さんは、2016年のテレビ朝日「徹子の部屋」に出演して、腸が破れる病気(腸膜炎)で2003年頃の約1年間、人工肛門にしていたことを告白していましたね。

また、渡哲也さんは、1991年の直腸がん手術で人工肛門してからも、常に第一線で活躍されています。

私たちの年代になりますと、誰もが大腸がんや直腸がんになる可能性があります。

病気も人生の一つの出来事として受け止め、人生をポジティブに生きていく・・、渡さんや内田さんを見ると、とても勇気づけられますね。