私たちの世代が、小野ヤスシさんの絶頂期を知っている最後の世代かもしれませんね。

1960年代の流行ったコミックバンドといえば、クレージキャッツ、そしてドリフターズ、ドンキーカルテットでした。

実は、小野さんは、初期のドリフターズのメンバーで、いかりや長介さんに反発して1964年に脱退し、ドンキーカルテットを結成したそうです。

2012年6月28日 腎盂がんのため72歳で亡くなりました。ヤスシさんを調べていたら、その2週間前に、ザ・ピーナツの伊藤エミさん(沢田研二さんと結構した方)も亡くなってました。

いずれも、私たちの子供の頃のテレビ界のスーパースターが亡くなってしまい、とても残念な気持ちです。

ヤスシさんの最後のステージは、亡くなる3ヶ月前に行われた親友加藤茶さんの結婚式の司会だったそうです。

加藤茶さんにとってヤスシさんはお兄さんのような存在で「そっちに行ったら麻雀いっしょにやろう」と約束していたそうです。

「爆報!THEフライデー」では、そんな、小野ヤスシさんの壮絶人生に迫ります。

小野ヤスシさんと親友加藤茶との約束

1960年、ヤスシさんはドリフターズとして芸能界デビューをはたし、コミックバンドとして一躍人気ものになります。

しかし、リーダーのいかりやさんとぶつかり、4年で脱退。その時、加藤さんもドリフを一緒にやめると言ったのを止めたそうです。

それ以来、二人は本当の兄弟のように50年間付き合い続けます。

ヤスシさんは、その後、名司会者として活躍、1981年には17歳年下モデルの芳子さんと結婚します。

結婚生活では、九州男児、小野ヤスシを貫き通しましたが、1男1女に恵まれ、家庭ではやさしいパパだったそうです。

結婚28年目、ヤスシさんに突然辛い現実が襲います。ヤスシさんに腎盂がんが見つかり、12時間にも及ぶ大手術で片側の腎臓を摘出します。

退院後、抗癌剤治療を続けながら仕事を続けますが、2011年12月には、肺がんを併発してしまいます。

今度は、完全に末期状態でした。医者からは、緩和ケアをススメられますが、ヤスシさんは「最後の仕事をしたいから3ヶ月だけ生きさせてくれ」と医者に頼みます。

ヤスシさんが最後に選んだのは、親友加藤茶さんの結婚式でした。

当時ヤスシさんは、余命の宣告を受け、まったく歩けず車椅子の状態。頬はこけ、抗癌剤のため髪は抜け、カツラをかぶっての司会でした。

しかし、式が開始するやいなや、ヤスシさんはスタスタと会場を歩き、明るい司会で無事大役を勤め上げました。

式が終わってから、ヤスシさんと加藤さんは、「ごめんな・・」とお互い言い合い、抱き合って泣いていたそうです。

そして2012年6月28日 最後の仕事を終えたヤスシさんは、72歳の生涯と閉じます。

葬式の弔辞で、加藤さんは、「オレがそっちに行ったら、天国でいっしょに麻雀やろう・・」と語りかけました。

奥さんには、自分にもしものことがあっても、泣かないでしっかり取り仕切ってくれと頼んだそうです。

そして、「おまえには強く生きて欲しい、健康でいてほしい、お前に出会えてよかった・・」と語り、息を引き取ったそうです。

今、奥さんは、ヤスシさんの男らしさが一番の誇りだと語ってました・・。