今、日本で乳がんと診断される女性は年間4万人いるそうです。

乳がんは早期発見、早期治療すれば、高い確率で治すことができる病気ですが、発見が遅れ、女性にとって大切な乳房を失う人も少なくありません。

乳房は、女性にとって機能そのものより女性であることの証のような存在。失ってしまった乳房は、体ばかりでなく心に大きな傷を残します。

世界遺産石見銀山の近く、島根県大田市にある義肢装具メーカー中村ブレイスは、1974年、義肢装具メーカーとして中村俊郎社長により設立されました。

30年前、中村社長がアメリカに研修に行ったとき、人工乳房の存在を知り衝撃を受けます。

当時の日本には、人工乳房というものはなく、切除されてしまった女性の体と心をケアする手段は何一つありませんでした。

乳がんの女性

日本の女性にも失われた乳房の代わりを作ってあげたい。中村社長のその時の思いが、人工乳房の開発の原動力となりました。

そして、1991年人工乳房「ビビファイ」として製品化されました。

それまでの人工乳房は、外国からの輸入品でずっしりと重く、手術により体力の弱っている日本人には、負担の大きなものでした。

人工乳房「ビビファイ」は、シリコンゴム製でつくられ、中に空気をいれることで、ボリュームと軽さと快適さを実現しました。

さらに、一人ひとり違う、肌の色、乳首、皮膚のムラ、血管まで緻密にされ本物に近い乳房に仕上げられます。

その乳房を手にする女性は、「私の胸が帰ってきた・・」と皆、喜びの声をあげます。

8月2日放送のTBS「夢の扉+」では、中村ブレイスで技術を磨く26歳の若き女性義肢装具士・福井若菜さんの人工乳房の製作に密着しました。

会社名 中村ブレイス株式会社
所在地 〒694-0305 島根県大田市大森町ハ132  電話番号 0854-89-0231

下着をとると自然にたるむ乳房の開発

現在、乳がんの発生患者数は、12人に1人といわれており、その患者数は年々増えています。

乳がんの手術法は、摘出がほとんどでしたが、現在では医療技術が進歩し乳房温存が逆転しています。

乳房を摘出した人は、自分の組織やシリコンを使って乳房の再建手術する人もいますが、再建できない人たちも多くいます。

19年前乳腺炎が悪化し36歳で左胸を全摘出した平井さんは、手術後世の中が白黒に見え、人生が終わってしまったような気持ちになったそうです。

いつもバッグで左胸を隠していたそうですが、人工乳房の存在を知り、初めて付けたときには世の中がハイビジョンになったような気持ちになったそうです。

17年前温泉に行き、人工乳房をとって入っていた時のことです。小さな子供から「あの人おっぱいがない・・」と言われ、その声を聞いた大人たちの視線が、自分の胸に一斉に集まったとき、もう二度と温泉には行かないと決めたそうです。

26歳の若き女性義肢装具士福井若菜さん家は、地元のお寺です。小さいときから中村ブレイス株式会社の存在を知っていて、「あそこの会社は人の足をつくっているんだよ」の噂に気味が悪いと思っていたそうです。

しかし、人の役にたつ、素晴らしい仕事とわかったとき、「誰かのために役にたりたい・・」と中村ブレイスへの入社と決めました。

福井さんが挑むのは、下着をつけたときにも、下着を外したときでも自然に見える人工乳房です。

従来のシリコン製は、下着を付けたときに合わせて制作されるため、下着を外したときに下に垂れることはありません。下着をとった時に、自分の乳房と同じように自然に垂れ下がる乳房であれば、つけて温泉にも入ることができます。

人工乳房をつけて温泉に入ってみたい・・17年間大好きな温泉に入っていない平井さんの夢を実現するため、福井さんは形は変わる乳房の開発に取り組みます。

問題は、自然に垂らすためには、シリコンの厚さを薄くしなくてはならないのですが、下着をつけたときにシワができてしまうことです。

そこでシリコンの厚さを、乳房の上部と下部で変えることで問題を解消しました。

温泉に入るときには、専用の粘着剤で直接肌に貼り付けます。肌色、血管まで本物のように再現されているため、違和感はないといいます。

平井さんは、完成した自然に垂れる人工乳房をつけ、17年ぶりの温泉を楽しみました。

それは、本当に気持ちのいい温泉だったそうです。もう、死ぬまで温泉に入らないと思っていた平井さんの目からは涙が・・。

そして、福井さんに、言葉にできないほどの感謝の気持ちが伝えられました。