今から15年前の平成12年4月に介護保険制度がスタートしました。

介護保険制度は、「介護を必要となった人が尊厳を保持しながら自立した日常生活がおくれるよう社会全体で支える」という目的のもと施行された制度です。

介護を認定された人は、認定の度合いにより、様々な介護サービスを受けることができます。

私たちの世代では、ちょうど親の介護の時期で、かなりの部分、介護保険に助けられてきました。

しかし、私たちが介護を受ける10年後、20年後、現在の介護制度は崩壊すると予測されています。

今、危惧されている問題は
①介護を受ける人の増加 2015年600万人から2025年には800万人に増加
②介護にかかる費用は21兆円に増加
③介護人材が38万人不足
④自宅、施設で介護が受けられない介護難民が43万人

その崩壊のシナリオは、すでに始まっています。政府は、それを救う手段として在宅介護を勧めています。

介護老人の手

私の友人も、親の介護をするため仕事をやめ在宅介護を経験しました。

その結果、身も心も疲れ果て、経済的負担でボロボロになってしまった友人が何人もいます。

在宅介護はそれほど大変で、負担の大きなものであり、とても家族愛だけでは耐えられないものなのです。

今後、安定した老後を送れる人は、貯蓄のたくさんある一部の富裕層だけという状態です。

一部の富裕層や、高額な退職金と恵まれた年金を貰える国家公務員や地方公務員と、一般庶民の老後には大きな差があるような気がします。

国がすすめる在宅介護も、それを決議する国会議員の方が、一般庶民の実態を果たしてどこまで知って論議しているのか、疑問に感じることがあります。

「NHKスペシャル」では、介護危機問題をシリーズで取り上げています。

12月12日放送では、「介護危機 あなたの老後を守るには」と題して、現実と乖離していく介護問題を、庶民の目線でとらえ論議していました。

崩壊していく自分の老後

介護の崩壊を見越して、国は今年より介護費用の見直しをはかりました。

●国の介護費用の抑制
介護保険制度が始まった2000年、介護負担の金額が3.6兆円だったのですが、2015年には10兆円、2025年には21兆円になるそうです。

制度が始まったときには、高齢者を家族で介護する人を補うシステムとして始まりましたが、この15年で高齢だけの夫婦や1人暮らしの高齢者が増加してしまうなど、社会が大きく変化してしまいました。

そこで、国は財源の不足分を補おうと、2015年より介護費用抑制を実施しました。

・一定以上の収入のある人の介護サービスの自己負担金を引き上げ
これまでは介護サービスの負担金は一律1割負担でしたが、年金収入が1人の場合280万円以上、2人世帯の場合346万円以上の人は2割負担になりました。

・特別養護老人ホームの料金の見直し
年金月額20万円の夫婦で妻が特別養護老人ホームに入居している人の金額が、今年の8月から6万8000円から13万7000円と倍になったそうです。

・特別養護老人ホームの入居条件の変更
これまでは要介護1~5まで入所できましたが、今年から要介護3以上でないと入れないようになりました。

・介護保険制度の引き下げ
今年の4月から施設向けの単価の引き下げが実施され、多くの施設の閉鎖や倒産が発生しました。

介護現場の問題点

また、介護人材の不足が大きな問題となっています。今後、介護人材は38万人不足すると言われています。

現在でも、施設の部屋を増設したけど職員がいないため入居者を増やせないという事態が発生しているそうです。

介護スタップの平均月収は22万円、他の産業より低く重労働のため、離職率も16.5%高い現実があります。

打開策として、千葉県流山市では市民ボランティアを募り、掃除や洗濯、買い物など身の回りのサービスを住民の支援でのり切ろうとしているそうです。

打開策のない社会福祉の現状

介護費用の不足をどう補うには、保険料や税金を増やすか、利用料を増やすかしかありません。

利用料を料金をアップすれば、所得により受けられるサービスに大きな差がでてしまいます。

番組内でテリー伊藤さんが「みんな元気でピンピンコロリと逝くのが一番いい・・」とおっしゃってましたが、実際3人の親の介護を看取った人から、「人はコロリとは死なないんです・・」と指摘がありました。

確かに、コロリと逝くのは「心臓系、脳系、血管系」のいずれか病気が原因です。健康な人は、そう簡単に亡くなりません。

膝が悪く寝たきりになっても、心臓も内蔵も血管も丈夫なら何年でも生きていけるのが、今の日本社会なのです。

庶民の生活が、今どういう状態にあるのかをしっかり見極め、誰もが安心して老後を送れる社会を一刻も早くつくって欲しいですね。

誰もが安心した老後を送れる国が実際にあるのですから、日本でもきっとできるはずだと思います。

選挙に受かるための方策ではなく、社会を守る方策を掲げる国であって欲しいと思いますね。