黛ジュンさん。私たち昭和世代にとっては、ピンキラの今陽子さん、弘田三枝子さんなどと並んで、忘れない歌手の1人ですよね。
お兄さんは、「津軽海峡冬景色」などを作曲した三木たかしさん。黛ジュンさんは、ボーイッシュな感じでミニ・スカートでデビューしました。
1967年発売の「恋のハレルヤ」は小学校のときによく口ずさんでいた歌で、私たちの年代の人は、今でもカラオケで良く歌う歌です♪
1968年に発売した「天使の誘惑」は500万枚の大ヒット。その後も、次々を大ヒットを飛ばす黛ジュンさんですが、結婚運はあまり良くなかったようです。
1970年にベーシストの江藤勲さんと結婚しますが、家庭内暴力などが原因で3年で離婚。その後、ドラマーの石田秀雄さんと再婚しますが、またもや離婚してしまいます。
私たちが知っている、黛ジュンさんの人生はその位でしたが、実は6人の男性と、いつも損ばかりの恋を経験していたそうです。
TBSの「爆報!THE フライデー」で、黛ジュンさんの恋の履歴書を紹介してくれました。
黛ジュンさんの恋の履歴書
黛ジュンさんの恋の履歴書です。
21歳 人気ベーシストと結婚
29歳 タイ人シンガーと国際恋愛
36歳 大物政治家と愛人契約
41歳 ドラマーと2度目の結婚
50歳 米国在中大富豪と不倫
53歳 売れっ子作詞家と婚約
まさに、恋のハレルヤといった感じですよね。中でも36歳の時の大物政治家との恋は、超セレブなものだったようです。
出会いは、1984年、その大物政治家の主催するパーティーに呼ばれた時。コンサートが終わった後に事務所に呼ばれて、10個以上の高級指輪を見せられ「好きなだけ持っていきなさい」と言われたとか・・。
黛ジュンさんは、宝石の輝きについ負けてしまい、「パールとダイヤ」2つの指輪、推定1000万円をもらってしまったそうです。実はその代償は、愛人契約でした。
「まあ、こんな経験もいいかな・・」と、大物政治家とファーストクラスで、世界一周の超セレブ旅行に出かけたそうです。
ヨーロッパの超最高級ホテルのスィートルームに泊まり、超一流ブランドのものをプレゼントしてもらったとか・・。
あるパーティーでは、モナコ公妃のグレース・ケリーとも会ったそうですから、その政治家かなりの大物なんですね。
しかし、パリのホテルでメイクをしていた時に、後ろから彼の顔が近づいてきて、その目に嫌気がさしてしまい、途中で帰ってきてしまったそうです。
その後も、有名ドラマーとの結婚、米国大富豪など、黛さんには、次々と出会いと別れがありました。
最期の男性となったのは、15年来の付き合いのある売れっ子作詞家。2001年に、その男性と婚約。エンゲージリングをもらい、4度目の婚約会見まで行いました。
しかし、婚約会見からわずか2ヶ月、あっさり破局をしてしまいます。別れの原因は、なんとイタコさんだとか・・。
ある時、男性はイタコさんから「黛ジュンさんは不倫しているとお告げがあった」と言われたそうです。
それが原因で婚約解消となってしまったそうですから、すごいですよね。それが、黛ジュンさんの恋の履歴書でした。
以来16年、現在は、自分の建てたマンションの1室、2LDのマンションに4匹の愛犬と暮らしています。
今の仕事は、自分のマンションの管理人。黛さんは、68歳になった今でも、とっても明るく充分に魅力的な女性でした。