オードリー・ヘップバーンさん、「20世紀最高の美女」。「ローマの休日」では、アメリカ人新聞記者と恋に落ちる王女アンを演じ、世界中の人々を魅了しましたよね。
愛くるしくていたずらっぽくて、明るく、キュートな笑顔は、まさに本物の王女のようでした。
ローマの休日は、1953年の製作。私が映画「ローマの休日」をみたのは、15歳の頃でしたが、彼女の美しさにいっぺんで魅了されてしまいました。
その後、「ティファニーで朝食を」「マイ・フェア・レディ」と、数々の映画に出演。いくつになってもその美しさはかわりませんでした。
オードリーさんには、2人の息子さんがいます。俳優メル・ファーラーさんとの間に、1960年に生まれたショーン・ヘプバーン・ファーラーさん、イタリア人精神科医アンドレア・マリオ・ドッティさんとの間に、1970年ルカ・ドッティさんです。
ルカさんは、雑誌のインタービューで、「母が有名な女優だったという事実を知りませんでした。化粧をほとんどしなかったし、服もジーンズやTシャツを着てたんです」と語ってましたので、家庭では普通のやさしいお母さんだったのでしょうね。
オードリーさんの晩年は、自分の知名度を活かし、国際連合児童基金(ユニセフ)の仕事に捧げました。
そんな彼女が、お腹に異変を感じたのが、1992年スイスの自宅にいた時だったそうです。
すぐに専門医の診断を受けましたが原因がわからず、10月にロサンゼルスへ行き精密検査を受けた結果、悪性腫瘍が見つかります。
その腫瘍は、腹膜偽粘液腫と呼ばれるめずらしいタイプで、すでに腫瘍は腸内を覆いつくしてしまっていたそうです。翌年の1993年1月20日、スイスの自宅で亡くなりました。63歳でした。
もう亡くなってから、22年もたつのですね。でも、彼女の笑顔は、21世紀も22世紀になっても、人類がいる限り愛され、スクリーンの中で生き続けていくのでしょうね。
そんなオードリーさんの晩年を、爆報!THEフライデー(TBS)で加藤タキさんが語ってくれました。
加藤さんは、アメリカの大学を卒業し、雑誌「ニューズウィーク」や「タイム・ライフ」の東京支社で勤め、1975年にコーディネーターとして独立。現在は、難民を助ける会副理事長として活躍している方です。
オードリーさんとは、1972年頃CMがきっかけで知り合いになり、以後交流を続けていたようです。
番組では、晩年、オードリーさんが加藤さんに宛てた手紙が紹介されるようです。その手紙には、何が書かれていたのでしょうか。
加藤タキさんとオードリーさんの愛
加藤タキさんは、お父さんが加藤勘十労働大臣で、お母さんは女性初の国会議員、加藤シヅエさんという名家に産まれました。
そして旦那さんは、世界的な建築家でプロダクトデザイナーの黒川雅之さん、義理の兄は、あの建築家黒川紀章さんという華麗なる一族です。現在は、70歳になられてました。
加藤さんがオードリーさんと知り合ったのは、海外の大物をCMに出演させるショービジネスコーディネータをしていた1971年のときだそうです。
初めは単なる仕事相手だったのですが、海外ロケの撮影前、オードリーさんが演技に集中しているとき、大声で話すスタッフを加藤さんが注意したことから、急速に親しくなったそうです。
撮影が終わったあと「タキありがとう、あなたは本当にやさしい人ね・・」と抱きしめてくれたそうです。
以後、二人は急接近し、本当の親友となります。オードリーさんと日常的な電話のやりとりや、日本に来た時はほとんど一緒に行動していたそうです。
オードリーさんは日本が大好きで、「自分の前世は日本人だったかも・・」と話し、銀座や花屋さんをショッピングしながらよく歩いたそうです。
オードリーさんは、子育てのため一線を退き主婦業をしながら、ユニセフの活動をはじめました。出かけるときには、スッピンで、ボランティア活動中は顔のシワを隠そうともしませんでした。
しかし、日本のマスコミはそんなオードリーさんに、強烈なバッシングをしかけます。顔をアップで写し「こんなシワの顔のオードリーは見たくない!」と一斉に叩いたそうです。
そんなマスコミに対して、オードリーさんは「このシワは自分で生きてきたシワではなく、みなさんが支えてくれた証のシワ。だから私は今の顔が好きなんですよ」と笑顔で答えたそうです。
その言葉の背景には、裕福なオランダの貴族の末裔で生まれたけど、戦争に巻き込まれて全てを失いながらも、皆に助けてもらいながら生きてきた、というオードリーさんの感謝の気持ちがありました。
加藤さんの元には、20痛を越えるオードリーさんの手紙が残されていました。最後の手紙は、亡くなる5ヶ月前の1992年8月23日のものでした。
オードリーさんが、がんに侵されている最中に書かれたものです。
「あなたのご家族の皆さんはお元気かしら?お会いできなくて寂しいわ。いっぱい、いっぱいの愛をこめて、何度でもいいますが、100万回ありがとう! オードリー」
と書かれていました。
加藤さんは、まさかガンの最中で、数ヶ月後に亡くなるとは、夢にも思わなかったそうです。
加藤さんは、2013年の命日の日、オードリーさんに会いにスイスレマン湖のお墓に行き、彼女が大好きだったチューリップの花を捧げてきたそうです。
オードリーさん、本当に、美しくてやさしい方でしたね。