泉ピン子さんのファミリーヒストリー 銚子の遊郭生まれの人生に決着

スポンサードリンク

泉ピン子さん(70歳)。番組リポーターからスタートし、日本を代表する大女優に登りつめましたよね。

NHKの朝ドラ「おしん」が大ヒットし、ピン子さんは「おしんの母親」として、世界的な知名度を得ました。

ホームドラマ『渡る世間は鬼ばかり』は、ピン子さんなしでは成立しない番組です。

ピン子さんの芸能界スタートは1966年。牧伸二さんに師事し、三門 マリ子(みかど まりこ)の芸名で歌謡漫談家としてデビューしました。

現在の「泉ピン子」という名前は、日本テレビ『テレビ3面記事 ウィークエンダー』(1975年)の番組リポーターの頃に改名したそうです。

ピン子さんの本名は、「江口 小夜」といいます。

1947年9月11日、浪曲師の広沢竜造(江口鉱三郎)さんの子として誕生しますが、母親の事がよくわからないようです。

父からは「千葉県銚子の遊郭で生まれた」と聞かされていたそうです。

遊郭

ピン子さんは、母親についていろいろと聞きたかったのですが、父親には聞けずにいたそうです。

NHK「ファミリーヒストリー」では、そんな泉ピン子さんのルーツを探しました。

そこで知ったピン子さんの母親の秘密。ピン子さんにとって、初めて知る母親の姿がそこにはありました。

母親は、ピン子さんが2歳のときまで、いっしょに暮らしていたようです。

今回初めて自分のルーツと、そして母親と向かいあったピン子さん。その気持ちはどんなだったでしょうか。

泉ピン子さんのファミリーヒストリー

泉ピン子さん、本名は江口小夜さん。自分の母親のこと、自分の祖先のことなど、ほとんど聞いたことはありませんでした。

というより聞いてはいけないものと、子供ながらに思っていたようです。

聞いたことといえば、「うちは銚子の女郎屋だったんだ・・」という事と、「本籍地は銀座の4丁目」と言うことぐらいだとか・・。

番組では、その真相を確かめるために、銚子を訪ね昔の遊郭の記録を調査しました。

銚子の遊郭には、江口家の名前はありませんでした。しかし、その隣町の飯岡に、江口家の名前が見つかりました。

飯岡は漁業の地であったことから、ピン子さんの曽祖父は、おそらく飯岡で漁業を営んでいたと思われます。

ピン子さんの父方の系図です。

曽祖父:栄助=祖父:熊次郎=父:鑛三郎=小夜(ピン子)

銀座4丁目でうなぎやを開店 父は浪曲師に

イワシ漁が下火になったことから、祖父の熊次郎さんは飯岡を離れ、東京の深川にでてウナギ屋の修行を始めます。

そして、独立し、銀座4丁目の服部(現在の和光)の裏手で「ひさご」というお店をだします。

ひさごは、銀座で繁盛します。お店は昭和6年頃から戦災で燃えてなくなるまで続いていました。

ピン子さんの父、鑛三郎さんは、若いころは銀座の番長とも呼ばれていた程の暴れん坊だったようです。

父である熊次郎さんは、そんなわが子(鑛三郎)の将来を心配して、浪曲師廣澤寅蔵さんに預けます。

寅蔵さんに鍛えられ、鑛三郎さんは浪曲師として才能を発揮し「廣澤竜造」としてデビュー。

鑛三郎さんは売れっ子となり、本まで出版するまでになったそうです。

演歌歌手で浪曲師、「岸壁の母」の二葉百合子さん(86)は、ピン子さんの父、廣澤竜造さんのことをはっきりと覚えているそうです。

昭和18年、鑛三郎さんは出征します。行先はビルマ、悲惨な戦いで知られる「インパール作戦」への参戦でした。

スポンサードリンク

ピン子さんの誕生と2歳で母と悲しい別れ

鑛三郎さんは、インパール作戦で生き延び、マラリアにかかりながらも無事帰国し、再び浪曲師として活躍します。

そのとき、楽屋で髪結いをしていたピン子さんの母となる女性、金井喜美代さんと出会います。

喜美代さんは、仕事のできるモダンな雰囲気の美女で、かなりモテたそうです。

昭和22年4月二人は恋に落ち、結婚します。二葉さんは、喜美代さんのことも良く覚えていました。

楽屋の隅で、鑛三郎さんの舞台が終わるのを正座して待っているような、静かな人だったそうです。

結婚して2年後の昭和24年8月、長女小夜(ピン子さん)が生まれます。

喜美代さんは、小夜さん(ピン子さん)をいつもそばにおいて、大切に育てていたそうです。

昭和26年、喜美代さんは二人目の子供も身ごもります。

しかし二人目の子は難産で、子(男子)を亡くし、数日後には、喜美代さんも亡くなってしまいます。

喜美代さん28歳、小夜さん(ピン子さん)2歳の時でした。

その後、父鑛三郎さんは再婚しますが、ピン子さんは再婚した新しい母には、なかなかなじめなかったそうです。

そんな経緯があったことから、実母のことを口にだすことがはばかれ、今まで生きてきたといいます。

そのため、ピン子さんは、実母である喜美代さんのことを全く知らないそうです。

なかなか売れなかった下積み時代、そして大女優に

ピン子さんは、18歳で「三門マリ子」として歌手デビュー。しかし、まったく売れませんでした。

その後、ギター漫談に転向し、芸名を「泉ピン子」に変えます。

人気のきっかけをつくったのが「テレビ三面記事ウィークエンダー」の女性レポータ役でした。

以降、NHK大河ドラマ「おんな太閤記」などに女優として出演するようになり、女優としての才能を開花させていきます。

父鑛三郎さんは、38歳のときに肺結核で声がでなくなり、現役を引退。その後、浪曲の台本を書く作家となります。

鑛三郎さんは昭和56年4月、肝臓がんのため62歳で他界しました。

自分が追い求めた母親の姿とは・・

ピン子さんは、「おしんの母親役」を演じたときに、自分が母親になったら、こういう母親でいたいというのをクロスして演じていたそうです。

「本当に「おしん」で自分で変わりました。役者としても・・。」とピン子さんは言います。

きっと、思い出のない母、喜美代さんの気持ちを思いながら、おしんに自分のことを重ねながら演じていたんですね。

スポンサードリンク

ピン子さんの父と母と知る二葉百合子さんは、「生みのお母さんにピン子さんの今の活躍を、大女優の姿を一目見せてあげたら、どんなに喜んだことか・・」と涙ぐんでました。


関連記事
サブコンテンツ

このページの先頭へ