モノマネの岩本恭生さんの奥さん、恵美さんが7年に及ぶ闘病の末、15才の麗奈さん、13才の黎音くんを残して52才で逝かれました。

岩本恭生さんは、布施明さんや沢田研二さん、谷村新司さんのモノマネで大ブレーク。9才年下の奥さんと2人のお子さんに恵まれ幸せな生活を送ってました。

しかし、そんな家庭に突然の出来事が・・・。2007年奥さんが45才のとき、体調が思わしくなくなってきました。病院へいったところ、女性特有の更年期障害との診断でした。

しかし、奥さんの体調は、どんどん悪くなっていきます。翌年の2008年ふたたび、精密検査を受けたところ、脳の脳幹部分に4.5cm大の腫瘍が見つかったそうです。
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5月6日TBS「爆報!THE フライデー」岩本恭生さんのお母さんが脳梗塞で認知症に 自宅介護か施設かの決断は?はこちらで紹介しています。

花畑

急遽、腫瘍を摘出するため、開頭手術。残念ながら腫瘍は全部とることができず、しかも大きな後遺症が残ってしまったそうです。

後遺症は、左半身のマヒと左目の斜視と眼球痙攣、言語障害 、嚥下障害のため食事もうまくできず、点滴で栄養をとっていたような状態。

極端な斜視と、ひきつった口を隠すため、アイパッチとマスクをつけ、まだ小さなお子さんのため麻痺した身体で食事を作ったそうです。

岩本さんは、仕事を控え奥さんの変わりに主夫生活。落ち込むことのある奥さんを、子供と一緒に励まし続けました。

2012年には、東京から奥さんのふるさと札幌に引越し闘病してましたが、2014年2月、奥さんは52才の若さで旅立ちました。

棺におさめられた奥さんは、ひきつりもなく穏やかな笑顔だったといいます。

岩本さんは、恵美さんが亡くなったとき、仕事のため不在だったそうです。その時、自分が家にいたら・・と、未だに後悔するそうです。

実は、恵美さんは、脳の障害により度々呼吸が止まってしまうため意識的に呼吸をする必要があったそうです。

恵美さんが、時々ぼーっとしているときは、家族全員で声をかけて、呼吸を促していたそうです。

その日の朝、恵美さんの隣で寝ていた、しおんくんは、恵美さんの寝ているのを確かめ、サッカーの練習のため家を出ました。

10時になっても起きてこない恵美さんに、れいなちゃんが声をかけたとき、すでに冷たくなっていたそうです。

生前、恵美さんは、岩本さんに手紙を残していました。そこには「いつまでも、格好いい岩本恭生でいてください」と書かれていました。

49日法要で、納骨の日岩本さん、れいなちゃん、しおんくん、お母さんへ最後の言葉をおくりました。

そして、大好きなママ、恵美さんとの約束を守るため家族3人「かっこ良く笑顔で生きていく」ことを誓いました。
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残念ながら短い人生で終わってしまった方に接するたび、運命とは何なのか・・ということを考えさせられます。

死はとても悲しいことですが、同時に生きることの大切さを教えてくれ、多くのことを学ばせてくれます。

2人のお子さんも、お母さんが命をかけて教えてくれた生きることの素晴らしさ、人生の意味を、しっかり胸に刻んで、生きていかれるのではないかと思います。

恵美さんのご冥福をお祈り申し上げます。