天龍源一郎さん、最近は滑舌の悪さとしゃがれた声で、バラエティ番組にひっぱりだこですね。

天龍源一郎さんは、ジャアント馬場さん亡き後、日本のプロレス界を引っ張ってきた人です。天龍さんは、2015年11月、65歳で引退を決意し発表しました。

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<天龍プロジェクトのオフィシャルサイト よりお借りしました>

天龍源一郎さんは、「天龍」の名で、1973年1月場所から幕内に16場所在位し、西前頭筆頭まで上り詰めた大相撲出身のレスラーです。

26歳のときに、ジャイアント馬場さんのいる全日本プロレスへ入団し、プロレス人生をスタートさせ39年、プロレス一筋の人生を送ってきました。

天龍さんが65歳まで現役でいられたのは、奥さんの存在があったからだといいます。プロレスは全国の興行があるため、ほとんど家にいることがありません。

2015年2月の引退会見では、「ここまでプロレスラーを続けてこられたのはうちの家族の支えがあった。一番支えてくれた家内の病気があったので、今、身を引いて今度は俺が支えていく番」と語ってました。

実は、奥さんは5年前乳がんになり、手術を受けていたようです。さらに、心臓弁膜症で肺に水が8リットルもたまっていたそうです。

また、奥さんには他にも病気があり、天龍さんを試合に送り出したあと、一人で一晩中唸っていたこともあったそうです。

そんな奥さんを、「これからは俺が支える番」と引退を決意したそうです。私の何がイケないの?では、天龍源一郎さんと奥さんの33年の夫婦愛について紹介しました。

天龍源一郎の超亭主関白を33年間支えた続けた妻まき代さん

天龍さんが、京都のスナックで働いていたまき代と出会ったのは1982年、32歳のとき。まき代さんは25歳でした。一目惚れした天龍さんは、なんと3回のデートで結婚を決め一緒になったそうです。

幸せな新婚生活と思いきや、結婚後、すぐに天龍さんの超亭主関白ぶりが剥き出しになりました。

荷物を持つのは妻、10m後ろを歩く、足の爪を切るのは妻の役目、呼び方は「大将」、どんなに遅くても起きて待つ、帰ったらすぐにお茶漬けをだせ、つけの飲み代を払いにいく、馬券を買いにいく・・・。

それを当たり前のように、妻まき代さんに要求していました。後輩を連れて飲み歩くと1回で20、30万円、月に数百万円もの飲み代がかかり、家は火の車でした。

お金の足りない分は、天龍さんが地方巡業のとき、昔勤めていた京都のスナックで働いて工面していたそうです。

天龍さんは、そんな妻を「当たり前、亭主を気遣うのが女房の役目」と思っていたそうです。

そんなまき代さんに、異変が起きたのは54歳の時。胸のしこりを調べたら乳がんだったそうです。しかし、まき代さんは、天龍さんには病状を伝えず、明るく振る舞っていました。

乳がん手術も天龍さんの心配をかけないよう、4日間で退院してしまったそうです。

乳がん治療は終わったものの、まき代さんの体はそれまでの過酷な生活で限界に達してました。2年後の2013年には、咳と息苦しさで倒れてしまいます。

診断結果は、心臓弁膜症でした。なんと肺の中には8リットルの水がたまっていて、呼吸ができず最悪、命を落としかねないほどだったそうです。

。さらに、胆石症と糖尿病もあることも判明します。まき代さんの体は、ボロボロの状態でした。

天龍さんは、そんなまき代さんの姿をみて、今までの自分の犯したことの重大さに気づき後悔しました。

そして、今の自分にできることを考え、残りの人生を全力で妻を支えるために生きることを決断し引退を宣言しました。

今、天龍さんは、炊事、ゴミ出し、まき代さんの病院への送り迎えをしています。

まき代さんは、「強いことが象徴のプロレスラー。天龍源一郎を超一流の扱いをして、超一流の男にしたかった。だからツライって感じなかった。むしろ幸せだった・・」といいます。

そんなまき代さんに、天龍さんはサプライズを用意します。かつて結婚式をあげた、東京プリンスにバージンロードを用意し、自分でつくったティアラをプレゼント。

そして、自分の人生のすべて感謝と反省を込めて、サプライズのキスを送りました。