高田万由子さん 東京大学卒の女優で、夫はバイオリニストの葉加瀬太郎さん。

小学校、中学校、高校は、お嬢様学校の白百合学園で過ごしたという根っからのお嬢様で、しかも美人で才女。

三菱一号館

本当にうらやましいですよね~。万由子さんの先祖をたどると、日本の近代史そのものとの関係が続々とでてきます。

四代前の高祖父は、明治時代の三大商社の一つ、高田商会の創始者、高田慎蔵(たかだしんぞう)です。

高田慎蔵(たかだしんぞう)は、旧幕府佐渡奉行の組頭天野孫三郎(三男)の子として佐渡国の相川に生まれます。

父の同僚である高田家の養子となり、14歳から佐渡奉行所、新政府では公事方秘書役、夷港運上所、通弁見習となり英語を学びます。

ドイツ商館アーレンス商会に勤務したのち、明治20年(1887年)29歳のとき東京銀座に機械を輸入する会社、高田商会を設立します。

高田商会は、鉱山を手掛ける三菱や、八幡製鐵所など取引を拡大。さらに兵器を取り扱うようになり、日清・日露戦争で海軍省御用となり、日本の三大商社と呼ばれるまでに急成長します。

大正4年には、三井物産、三菱に次ぐ資産家となりました。高田慎蔵さんは、中国の革命家孫文との交流もあったようです。

慎蔵さんは、湯島に大邸宅を建て七男五女を設けました。しかし、男の子が次々に亡くなり、次女の雪子さんに養子を迎えることになります。

養子になったのは、生糸・為替・洋銀・米相場で財をなした「天下の糸平」こと田中平八の四男、釜吉。釜吉はドイツで機械工学を学んだ優秀なエンジニアでした。

釜吉は、36歳で高田商会を引き継ぎ、兵器をつくるための亜鉛工場、都市建設など次々と手掛け多角経営に乗り出します。

しかし、第一次世界大戦で世界的な軍縮がおこり、さらに関東大震災で本社と輸入品のすべてを消失しついに倒産してしまいます。

その後、釜吉は実家の田中鉱業に勤めながら家庭的な父となり、一人娘の愛子さん(万由子さんの祖母)、そして孫祐一さん(万由子さんの父)を育てます。

父の祐一さんは、一人娘の万由子さんの教育に力を注ぎ、16歳の時にはスイスに留学させ東京大学に入学させました。

万由子さんは、大学時代週刊誌の写真をきっかけに芸能界に入り、世界的なバイオリニスト葉加瀬太郎さんと結婚します。

一男一女を設け、現在はイギリスのロンドンに住んでいます。その場所は、かつて高田商会のロンドン支店のあったすぐ近くだったそうです。

すごいファミリーですね・・、万由子さんも今回自分の先祖の詳細を知って「重みに耐え切れそうもない・・」と語っていました。