佐野史郎さんのファミリーヒストリー 150年続く医者のきっかけは行き倒れ侍

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今や、日本を代表する個性派俳優である佐野史郎さん。

『ずっとあなたが好きだった』の冬彦さん役は、あまりにもピッタリはまっていて、本当に演技なの?というくらい驚きました。(笑

母親役の野際陽子さんへの強烈なマザコン姿には、日本中に「冬彦さんブーム」を巻き起こしました。

あの放送が1992年でしたから、あれから25年もたつんですね・・。現在の佐野史郎さんは、俳優、監督、ミュージシャンとして大活躍しています。

NHKファミリーヒストリーでは、佐野史郎さんの家系を紐解きました。

1955年3月4日、史郎さんは、佐野家の長男として生まれました。

佐野史郎さんの家は、島根県松江で150年続く医者の名家で、お父さんも、おじいさんも、そのまたおじいさんも医師です。

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佐野家が医者になったきっかけは、江戸時代から明治への移行する混沌としていた時代。

幕末のある日、史郎さんの4代前の高祖父が、一人の行き倒れた侍と出会ったときから医師としての運命が始まったという言い伝えがあるそうです。

「佐野」という姓はその行き倒れの侍の姓で、佐野さんの高祖父は侍から姓を譲り受けたということでした。

それから150年、佐野家は代々医者として、現在まで家系をつないできました。

しかし、長男である史郎さんは医者になることを拒否し役者の道を志します。まさに、お家断絶、佐野家の大ピンチですよね。

現在は、次男の方が家を継ぎ「佐野内科循環器科医院」として、医者の家系をつないでいます。

佐野家の運命を変えたファミリーヒストリー、どんな人生のドラマがあったのか楽しみですね。

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佐野史郎さんのファミリーヒストリー

佐野史郎さんの携帯の待ち受け画面は、107年前に玄関前で撮影された、佐野家一族の写真です。

史郎さんの家系は、高祖父文修さんが松江で起こした開業医で、史郎さんが5代目にあたります。

文修(1代目)=珠悦(2代目)=文泰(3代目)=義和(4代目)=史郎(5代目)

史郎さんは長男でしたが、5代目の医者にならず役者の道を目指しました。なぜ、医師にならなかったのでしょうか・・。

史郎さんには医者としての血筋とは別に、音楽家としての血筋もあったことが今回の取材でわかりました。

佐野家のもともとは「春日」という姓

1代目の文修さんの元の姓は、春日でした。佐野という姓は、佐野蔵大輔という侍から、文修さんが姓を引き継いだという言い伝えがありました。

調べてみると、春日家は、出雲地方で安土桃山時代から続く熊野神社で、「どう取」と呼ばれる奏楽を担当する頭だったことがわかりました。

当時は神職の家が医学を学ぶことは一般的で、文修さんは13歳のころから医学を学んでいたそうです。

地方の名家だった春日家と佐野家は姻戚関係にあり、血筋を絶やさないようにお互いの縁を続けていた関係だったそうです。

言い伝えの「行き倒れの侍から姓をひき継いだ」という話は、どうやら違っていて、家を守るための養子みたいな感じだったようです。

史郎さん音楽好きは、神社の奏楽の血筋が影響していたかもしれないですね。

終戦時の父の暗い過去

幕末に開かれた佐野医院は、以後地域になくてならない存在として栄え、住民からも愛されてきました。

史郎さんの祖父である3代目文泰さんも、地域の期待を一身に背負って医者になりました。

史郎さんのお父さん義和さんも、同じように医者になることを宿命づけられて大切に育てられました。

太平洋戦争がはじまった頃、義和さんは学徒動員で鉄工所で働く日々を送ってました。

その時、同じところで働いていた親友がいて、彼は戦闘機の設計を目指していました。

敗戦を迎え目標を失った親友は、義和さんの家(佐野医院)から盗み出した青酸カリで自殺をしてしまいます。

義和さんは、長い間その責任を感じて生きていたそうです。決して心の中から離れることはありませんでした。

終戦後、義和さんは、東京医科大学に入学します。まだご存命の同級生の話しでは、クソがつくほど真面目に勉強していたそうです。

史郎さんの誕生 勉強よりもロック、芝居

昭和27年、義和さんは松江に戻り赤十字病院で働き始めます。そこで出会ったのが、看護師だった禮子さん(史郎さんの母)でした。

禮子さんは、患者さんが盛り上がってしまうほどの美人で、人気者だったそうです。

禮子さんの家系である北島家は、出雲では有名な家柄で、「国造」を司どる80世も続く家系だそうです。

昭和29年に義和さんと禮子さんは結婚、翌年の昭和30年、長男史郎さんが生まれます。

医者の5代目をつぐはずの史郎さんは、中学生の頃からロックバンドに夢中になり、成績が思わしくありませんでした。

勉強は嫌いで言うことは聞かない史郎さんに、親戚中がてこずっていました。

「医者じゃない者は佐野家の恥」みたいな感じで、母の禮子さんはかなり責められていたそうです。

昭和49年、史郎さんは東京の美術学校に進み演劇を目指すようになります。

母禮子さんは、そんな史郎さんをずっと応援し続けました。実は、禮子さんは、小さいころから音楽や演劇が大好きでだったそうです。

史郎さんは昭和61年「夢みるように眠りたい」で映画初主演、そして1992年、「ずっとあなたが好きだった」の冬彦さんで大ブレークします。

父義和さんは、史郎さんの演技をみて「あんな子じゃないのに、気持ち悪い男を演じられるのは大成功だわ!これで肩の荷がひとつ降りた」といって喜んでいたそうです。

佐野家では次男の和也さんが医者になり、実家の「佐野医院」の5代目を継いでいます。

開業以来150年、佐野医院は、今も地域の人々の健康を守り続けています。

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自分のファミリーヒストリーを見終わった史郎さんは、「親戚のおじちゃん、おばちゃん、兄弟、本当にすみません!」と謝っていました。

佐野家では、史郎さんの甥っ子も姪っ子も、みな医学のみな医学の道を進んでいるそうです。


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