アニメ「もののけ姫」で美しい歌声で、日本中をとりこにしてしまった米良美一さん(45)。もののけ姫は1997年の作品ですから、もう19年もたつのですね。

その後、米良さんは本職の歌手としての活動のほか、いろいろなバラエティ番組などに出演されていましたが、最近はあまりテレビでも見られなくなりました。

どうしたのかと思っていたら、米良さんは2014年の年末にくも膜下出血で倒れ、緊急手術を受けていたそうです。さらに水頭症を発症して、二度目の手術を受けていたとか。

脳画像

軽い障害が残ったものの、リハビリを持ち前の根性で頑張り、2015年9月に復帰したそうです。

ご存知のように米良さんの身長は142cmで、成長が止まってしまっています。これは、先天性骨形成不全症という骨の病気のためです。

この病気のため、米良さんは小さい時からいじめらていたことを自叙伝『天使の声〜生きながら生まれ変わる』で告白しています。

また、「もののけ姫」ヒット後は、自身の容姿や精神的な重圧から、声がでなくなってしまった時期もあったそうです。

そんな人生の困難をいくつもの乗り越えてきた米良さんの最近の様子が、TBS「7時にあいましょう」で放送されます。

子ども時代に「骨曲がり」と言われ壮絶なイジメのあった地元への帰郷はしなかった、米良さん。

しかし、今回の病気を機に、新たな人生のスタートのため、地元への帰郷をはたします。

米良さんの運命を変えた人

米良さんは生死をさまよった病床で、死ぬ前にどうしても会って聞いて置かなければならないと思った人がいました。

その人は、米良さんの運命を変えた人であり、米良さんの生まれ育った地、宮崎県に住んでいます。

しかし、米良さんにとって宮崎は忘れてしまいたい、封印してしまい場所であり、今まで決して行こうとしない場所でした。

それは、幼少期に屈辱的なアダ名をつけられ、壮絶なイジメにあった記憶の残る場所だったからです。

米良さんは2万人に1人に発症する、難病「先天性骨形成不全症」を抱えて生まれました。ちょっと転んだだけで、手や足の骨が折れてしまうほどだったそうです。

一時、普通の学校に通ったこともあったのですが、「骨曲がり」とアダ名をつけられ壮絶なイジメにあっていたそうです。

何よりも辛かったのは、米良さんの治療費と生活費を稼ぐため、肉体労働をしながら必死に働く母親への悪口だったそうです。

その後、体の発育が遅れ背が伸びないため、体の不自由な人が通う小中高一貫の支援学校に通うことになりました。

米良さんの楽しみは、休み時間、学校の中庭で一人歌うことだけでした。歌を好きになった米良さんは、やがて音大に行きたいと考えるようになります。

先生や両親に相談するも、音楽の教育を受けてないで入れるわけがないと、誰もとりあってくれませんでした。

唯一、話を聞いてくれ音大に入るための勉強と声楽を教えてくれたのが、今回米良さんがどうしても会いたかった、音楽教師、日高まりこ先生でした。

日高先生は、昼休み中庭で一人ヨーデルを歌う米良さんをみて、「音楽の才能のある子だな・・」と思い、米良さんから相談を受けたときに声楽への道をすすめたそうです。

日高先生から特訓を受け1年後、米良さんは宮崎県の声楽コンクールで優勝し才能を発揮します。そして、洗足学園音楽大学へもトップで合格することができました。

米良さんの人生のすべては、日高先生との出会いから始まったのです。今回、20数年ぶりに日高先生に会い、故郷にも楽しい思い出が沢山あったことを、米良さんは改めて実感したそうです。

これからもリハビリが大変でしょうけど、また頑張ってあの美しい声を、いつまでも聞かせて欲しいですね。